参

 箒の柄にしがみ付く様なかたちで身を屈めたその頭上、一振りのナイフが虚空を裂いて突き抜けていった。続いて左右に旋回。咲夜の投げて放つ凶器の数々を絶妙なところで回避《グレイズ》してゆく。
「どうしたどうしたっ」姿勢を整えつつ。「勢いがなくなってきたぜ?」
 柄を強く握りしめた。魔理沙の意志に応えるようにして、箒は宙翔ける速度をさらに増してゆく。
「そうね、紅茶も弾幕も同じだわ」視線の先、咲夜が微笑んだ。「たまには刺(、)激(、)も必要ね」
 瞬間、四方から刃弾が魔理沙を包んだ。
 触れるもの全てを切り裂かんとする輝きが迫る。魔理沙は反射的に紡いでいた陣に魔力を通し、無数の魔方陣を形成。魔理沙を取り囲むようにして形成された魔方陣から、寸間《すんかん》も置かず四方へ光線が放たれた。
 爆《カッ》! 刃弾と光線――力と力の衝突によって巻き起こされた爆発に、廊下へ濛々(もうもう)と煙が立ち込めた。すさまじい速度で迫る刃弾へ、空恐ろしいほどの的確さで光線をぶつけて見せた魔理沙は、そのままの速度で分厚い煙の層を突き抜け――――明瞭となった視界に飛び込んだ光景に息を呑んだ。
「なっ……!」
 廊下全体に輝きがあった。無数のナイフ。それらは全て、魔理沙にその鋭い切っ先を向けたまま空中で静(、)止(、)していた。
 思わず急停止する。時間の経過を忘れ去ったように動かないナイフの数々の先、真っ直ぐこちらを見つめる咲夜をひたと睨んだ。
 ある意味で、静止した弾幕を避ける事は動く弾幕を避ける事より難しい。一直線に動く弾幕は避け切ってしまえばその後、こちらに影響を与える事は少ない。しかし、空間内に多くの静止する弾幕を配置されれば、それは空間を細かく仕切ってしまう事と同じであり、それだけ動きは制限されてしまう。
「どう? これでいくらか刺(、)激(、)的(、)じゃないかしら」
「どちらかというと過(、)激(、)的(、)だな」肩を竦《すく》めて。「まったく、メイドってのは何でも出来ちゃうもんなのか?」
「何を言ってるの」楽しげに笑う。「何でも出来るからメイドなんじゃない」
 咲夜が動いた。自らが配置したナイフの隙間を迷いなく進み、瞬く間に魔理沙との距離を詰める。しかし同時に魔理沙も動いている。宙で無数のナイフが静止しているとはいえ、それらを掻い潜って動くことなど造作もない。咲夜との距離を一定に保ちつつ、一度崩した勢いを立て直そうとした時、
 ――――カ(、)チ(、)ッ(、)。
 進行方向で静止していたナイフが、何の前触れもなく魔理沙目がけて動き始めた。
 旋回というよりは宙を転げるようにしてナイフを回避し、再びの失速を余儀なくされた魔理沙の背後に、咲夜は素早く飛び込んだ。ナイフを構え、その背中に向けて放とうとしたところをすかさず魔理沙が振り向く。瞬時に魔法陣が展開され、息も吐《つ》かせぬタイミングで光線が射出された。
 ――――カ(、)チ(、)ッ(、)。
 咲夜が身に着けるメイド服、その胸ポケットの中で懐中時計の秒針が静止した。秒針が凍りつく澄んだ音と共に、世界の全てが色を失う。
 光も、音も、熱も――――全ての時間が等しく剥奪された空間に、ただ一人。
 すっ、と横へ滑るように光線の進行方向から身を僅かに逸らした。塵一つ立たせぬほど、極めて静かな所作で敵の攻撃を無に帰し、それでいて無防備な相手へ攻撃する事もなく。
 全てを静止させた空間内において、物質の状態に変化が起こるとそこから時間と空間に何らかの齟齬《そご》が生じかねない。咲夜の存在を原点とした時、戦闘時の様に館の拡大や縮小と違って物体の位置座標を正確に把握する事が難しい場合はなおさらだ。
 ナイフを構え直し、そっと息を吸う。そして、
 ――――カ(、)チ(、)ッ(、)。
 色を取り戻す世界――胴(G)体(G)の(G)す(G)ぐ(G)脇(G)を(G)光(G)線(G)が(G)す(G)れ(G)す(G)れ(G)で(G)通(G)過(!)――目を見開く魔理沙へ、構えたナイフを突き出す。
 瞬間的に身をよじって刺突を避けて見せた魔理沙が、しかしそこで距離を取ることなく宣言した。
「彗星ッ!」
 その一身に魔力を纏い、己が身を一発の弾丸とする呪文《スペル》――――ブレイジングスター。
「ッ」
 超至近距離で炸裂する光――この上ない直(、)球(、)勝負――カ(、)チ(、)ッ(、)――局所的な時間操作――なかば反射――咲夜自身の時間を加速させての横跳び――そして衝撃――彗(G)星(G)の(G)如(G)く(G)背(G)後(G)へ(G)驀(G)進(G)し(G)て(G)ゆ(G)く(G)魔(G)理(G)沙(!)――そ(G)の(G)強(G)烈(G)す(G)ぎ(G)る(G)余(G)波(!)――空(G)気(G)の(G)塊(G)が(G)半(G)身(G)へ(G)直(G)撃(!)――文(G)字(G)通(G)り(G)体(G)が(G)吹(G)き(G)飛(G)ば(G)さ(G)れ(G)る(!)――さ(G)な(G)が(G)ら(G)強(G)風(G)に(G)煽(G)ら(G)れ(G)た(G)木(G)の(G)葉(!)。
 ぐちゃぐちゃに撹拌《かくはん》される視界。上下も左右も全てが一緒くたにされた様な世界の中で、咲夜は自分が無数の魔方陣に囲まれているのを見た。
 ――――カ(、)チ(、)ッ(、)。
 懐中時計が時を刻んだ。静止していたナイフの数々が時を取り戻し、無数の魔方陣へ次々と楔《くさび》の様に突き刺さってゆく。
 ――――カ(、)チ(、)ッ(、)。
 魔理沙の周囲にあったナイフが一斉に動き出した。それらを避けながら新たに陣を紡ぎ――カ(、)チ(、)ッ(、)――目の前に現れた刃弾を魔弾で撃墜。巻き起こった小爆発に、瞬間、魔理沙は視界を奪われた。
 ――――カ(、)チ(、)ッ(、)。
 再び音が響く。塞がれた視界の中、これまでの経験則からなる即応で右へ旋回した時、にわかに頭部を強かな衝撃が襲った。目の前で火花が散る。鈍器で殴られるような正体不明の熱が爆ぜ、旋回による遠心力を受けた身体が突き飛ばされるようにして箒から離れた。
 突然の出来事に理解が遅れる。急速な落下感覚に襲われたと思った次の瞬間には、背中から廊下に叩きつけられていた。
「ぇ、ぁっ……」
 仰向けに見上げた頭上――――ちょうど魔理沙が箒から振り落とされたあたりに咲夜の姿があった。ふと、彼女が履く靴が目に入る。
 脳裏をよぎる可能性――――まさか、あの靴で思い切り蹴(、)飛(、)ば(、)さ(、)れ(、)た(、)?
 なぜそんな想像をしたのか自分でもわからなかった。しかしこのメイドなら、何てことなく空飛ぶ相手を文字通り蹴り落としかねないと本気で思った。刃で切り付けられたわけでもなく、咲夜が身に着けるもので鈍器となり得そうな物は靴の踵《かかと》以外に思いつかなかった。
 その咲夜がにわかに仰向けに倒れる魔理沙のもとへ急降下してきた。否、鋭く足刀を突き出したその構えはまさしく跳び蹴りである。そんな物を食らえばひとたまりもない。
 迷わず右手を伸ばした。持ち主を失って明後日の方向へすっ飛んでいた箒が、まるで意志を持ったように伸ばした手元へ飛んでくる。魔理沙はその柄を掴み、箒の進み続ける勢いを利用して床を滑るように移動。咲夜の跳び蹴りをすんでの所で凌ぎつつ、上向きへ進路を変更させた箒に引っ張られる形で立ち上がった。
「こりゃ、たんこぶが出来るな」
 互いに距離を置いて廊下に立ち、魔理沙は未だ熱を発するように痛む頭をさすった。
「何だったら、瘤《こぶ》を切り取ってあげてもよくってよ?」
「それじゃあもっと痛いだろうぜ」
「あら、痛みを感じる余裕があったのならまだ幸せでしょうね」
 猟奇染みたことをさらっと言ってのける咲夜。しかし冷静そのものの面とは裏腹に、廊下に立つその姿勢はどこか不自然だ。先ほど仕掛けたブレイジングスターは僅かな差で避けられてしまったが、もしかしたらその時の衝撃が咲夜に少なからずダメージを与えたのかもしれない。どちらが先に動くか見合いつつ、魔理沙は一連の戦闘を振り返ってそう推測する。
 とはいえ、こちらも無傷ではない。長らく続く弾幕戦に加え、たった今さっき頭に一撃もらったのもあって、体力的にも精神的にも消耗を避けられてはいなかった。
 だが、まだ互角だ――――そんな思いが魔理沙の意気をガッチリと支えている。時間を自在に操る相手にこれだけ迫っているのだから、まだまだいけるはずだ。
「第弐戦《ラウンド・ツー》といくか」
「あら、今度は格闘《アクション》? 言っておくけれど、私は体術も得意よ」
「それはどうかな」帽子を目深《まぶか》に被りつつ。「何て言ったって、これはただの格闘じゃなくて弾幕アクションなんだぜ?」
 帽子に触れていた魔理沙の手が、素早く振り下ろされた。
 煙《ボン》! 何かが弾ける音に続いて、サ(、)イ(、)ケ(、)デ(、)リ(、)ッ(、)ク(、)な煙幕が廊下に広がった。
「――――ッ!」
 極彩色の煙幕を突き抜け、力(、)任(、)せ(、)に(、)箒の穂先が振り下ろされた。一歩退いて穂先を避けつつ、咲夜も一振りのナイフを握る。そこへ、更に箒が横殴りに振(、)り(、)回(、)さ(、)れ(、)る(、)。
 滅茶苦茶だ。身を屈めて箒の穂先をやり過ごしつつ、咲夜は純粋にそう思った。
 とても肉弾戦に慣れている者の動きではない。こんなや(、)た(、)ら(、)め(、)っ(、)た(、)ら(、)な打撃を仕掛けてくれば、普通は一瞬で返り討ちにあうだけである。しかし咲夜はまた、自分自身が何故か返す刃で反撃できていない事実に戸惑っている。
 ――――どうして?
 煙幕に巻かれていても時間を止めれば良いじゃないか――――そんな簡単な事に気付いたのは、何も手出し出来ないままに気(、)味(、)悪(、)い(、)色(、)の煙幕の向こうから、更に箒が突き出された後だった。
 身を捻って穂先をかわし、咄嗟の判断で逆に箒の柄を掴んでいた。ほとんど無意識の行動。しかしこれで相手の挙動を抑えることが出来る――――そう思ったが違った。次の瞬間、身体がとんでもない力でもって思いっきり引っ張られたのだ。
「えっ……?」
 気付けば宙に放り投げられていた。自分が箒を掴んだ瞬間を狙って、魔理沙が箒に爆発的な推進力を与えたのだと理解した。自分はその推進力に振り回されて、投げ飛ばされた。これではまるで、自ら投げられにいったようではないか。否、まさにその通りの状況だった。
 ――――相手に呑まれている。そう悟るのと同時に、初めて自分が僅かな息苦しさを感じている事を自覚した。
 息(、)を(、)止(、)め(、)て(、)い(、)る(、)。無意識の内に呼(、)吸(、)の(、)テ(、)ン(、)ポ(、)が狂っていた。
 気(、)味(、)悪(、)い(、)色(、)の煙幕――――その毒々しい色を無意識に嫌っていた。
 や(、)た(、)ら(、)め(、)っ(、)た(、)ら(、)な打撃――――あるはずのない規則性を無意識に求めてしまっていた。
 常(、)識(、)にとらわれた思考が、自らのテンポを狂わせていた。
 ――――これはただの格闘じゃない。
 これが、ただの魔法使いが幻想郷に住まう手練れと渡り合うため身に着けた体術《アクション》なのだ。
 出し惜しみをしてはいられない。
「幻符!」繋ぐ因果《スペル》――――殺人ドール。
 宙に残された全てのナイフが、一斉に魔理沙へその切っ先を向けるのがわかった。極彩色に染め上げられた空間において、ナイフの動きを介して魔理沙のいる位置を把握する。
 ――――カ(、)チ(、)ッ(、)。
 懐中時計が時を刻み、戒めが解かれる。すると、
「光撃!」
 ナイフが宙を滑り出すのとほぼ同時、間髪入れずに魔理沙の宣言が鋭く響いた。
 煙幕全体が光を孕んだ。咲夜達の立つ廊下が、眩い光を放っている。魔力のうねりから、魔理沙を中心として床に何かが刻まれている事がわかった。
 そして次の瞬間、廊下を覆った煙幕が晴れた。正確には、視界が不明瞭な内に広範囲へ展開された無数の魔方陣、そこから射出された光線が煙幕を裂いていた。
 シュート・ザ・ムーン。足元の魔方陣から上方へ放たれた光線は、魔理沙に切っ先を向けるナイフを次々と貫いていく。
 しかしそれでも、ナイフの全てを撃墜出来るわけではない。そしてまた、咲夜も無差別に放たれる光線を確実に避けていかなくてはならなかった。
「咲夜ぁッ!」
 光線とナイフ。上下からの激しい応酬のど真ん中を、箒の柄に立(、)っ(、)た(、)魔理沙が一直線に翔けてきた。嬉々として、勇ましく、そして何より楽しげな姿。
 自然と笑んでいた。このどうしようもなく真っ直ぐに翔ける魔法使いの気魄と、それを上回ろうとする自らの意志との全力を賭したぶつかり合いが、ひどく心地よかった。